お金の教育に取り組むようになり、さらに強くなった考え方があります。それは家庭教育の大切さです。
以前メルマガで「 学校ではなくて家庭内で補足している人が多いお金の教育(アメリカ)」という記事を書いた事があります。この記事では厚切りジェイソンさんが自分の生い立ちと日本人社会の家庭環境を比べ、日本人家庭では「家庭で学校教育以外のものを補足していない」という事を指摘したことについて触れました。
お金の教育を継続する中、あらためて彼のこの言葉を振り返ると、やはり彼の指摘は的を得ており、家庭で出来る教育はやはり家庭で補足してあげることが子どもの将来にも有効であるという事を理解するようになったのです。
【お金の教育で得られる変化(成長)】
お金の教育ではお小遣いを「稼ぐ・使う・貯める・運用する」という4つの学習テーマに取り組みます。
そしてこの取り組みを継続する事で子供たちの中では確かに変化が生まれます。
お金の教育は座学で学び、テストで点数を取るような、学校で科目に取り組むような取り組みとは異なり、体験を積むことで成長を掴んでいくという取り組み方になります。また、お金の教育自体がまだ新しい教育分野になるので、成長自体がなかなか言語化されておらず説明が難しいという側面がありますが、確かに筆者の子供たちにはお金の教育に取り組む前と後では変化が生まれています。
まず顕著なのはお金は労働の対価であるという理解が深まっているという事です。従って筆者の子供たちは「お金をもらう(もらえる)」という考え方はしていません。
さらにお金を使うことにおいても、自分の手元にあるお金をしっかりと吟味して使えるように成長している事も確認することが出来ています。
お金の教育に取り組んで既に1年半が経つ中学2年生の長男が新大久保にある韓国食料品店にいった際、数百円のお菓子を買わないという判断をすることが出来ました。その判断の裏には、彼にはすでに欲しいものがあり、その為にお金を使う計画があったのです。
このような計画的にお金を使う、使わなければならないという判断が出来るようになったのは間違いなくお金の教育に取り組んで得られた変化だといえるでしょう。
さらにはお金を「稼ぐ」方法を増やす取り組みの一つとして、長男の不用品をメルカリで売るというチャレンジをしたことがありました。この取り組みを通じて彼にとっては不要な物でも、欲しい人がいれば買ってくれるという体験を得ることができ、ある時、自分の勉強道具が入っているケースを整理していたときに出てきた「5等分の花嫁」という映画を見た際に映画館でもらった特典(マンガ番外編)がメルカリで売れるかも知れないということに気が付き、実際に1,600円でそのパンフレットを販売することができました。このようなことに気が付いたことは成長の証といえると思います。
さらに5歳児の長女はお金の教育に取り組んで1pカ月が経ち、お金に対する理解も深まり、今まではなかなか取り組む事が出来なかった「兄妹喧嘩」をしないという作業タスクに執着を見せるようになり、喧嘩をしなかった(仲良くできた日)はしっかりとボーナスポイント(50円)を受け取れるように筆者にその旨を報告してきます。このような変化は、お金の教育に早期から取り組む事で、少しずつお金への理解が深まることで得られた作業タスク(労働)に対する姿勢の成長の一つと考えています。
大雑把な説明にはなりますが、さらに家庭内で積極的に「家庭経済」の話をするようになりました。また、これらの話をする際、より具体性を持って話すことが出来るようになったのも成長といえるでしょう。より具体性を持たせられるようになったのは、実際に子供たちがお金の教育に取り組み、お金を「稼ぐ・使う・貯める・運用する」体験を積み重ねており、彼らが家庭教育で得られている体験になぞらえて筆者夫婦が行っていることを説明できるようになったからです。
【学校では教えてくれない教育】
厚切りジェイソンさんの言葉を借りれば、お金の教育も家庭で補足する教育の一つといえるのだと思います。
実際に家庭では社会のマナーを教えたり、お箸の正しい持ち方を教えたりと、各家庭の保護者が大切だと思う教育を子供たちには与えています。
しかし、子供たちが成長するとともに、分かっていた方が良い事、知っていた方が良い事も増えてきます。そしてその一つがお金に関する知恵になるのだと思います。
お金に関する経験を家庭にて早い内から取り組ませてあげる事が大切であるという考えを更に強めた出来事が先日起こりました。
それは中学2年生のお友達付き合いに関する事です。
筆者の時代だと、中学生同士で外食するという事はとてもまれで、筆者が友達同士でした外食はマクドナルドやコンビニの軽食という程度でした。
しかし、筆者の中学2年生の長男はお友達同士で回転すしに行ったり、しゃぶしゃぶを食べにいったりしています。筆者の住んでいる地域性もあるのかも知れませんが、少なくとも長男のバスケットボールの仲間たちは、仲間たちでレストランに行くことを楽しんでいます。
そして先日、バスケットボールの試合のあと、長男はみんなで近くのしゃぶしゃぶ屋さんに行こうという話をし、帰宅しました。
余談ですが、このしゃぶしゃぶ屋さんは2,419円(税込み)で食べ放題のコースがあるようで、彼らはこのレストランに行くとこのコースを楽しんでいるようです。
そして彼がその約束をして帰ってきた際に、居心地悪そうに「どうしようかな、どうしようかな」と悩んでいました。
話を聞いてみると「バスケのみんながいつものしゃぶしゃぶ屋さんに行くんだ。。。」という事でした。
彼が悩んだ理由は、その夜は家族の予定もある上、わが家では子供たちの寝る時間も決まっています。さらに、2,419円(税込み)程度であれば彼はお小遣いを毎日「稼いでいる為」手元にお金はあるものの、お金を「使う」という事も学んでいる為、彼自身、お金の使い方が無計画すぎるという事も認識していました。
そして筆者は考え方として3つの事を伝え、後は彼の判断に委ねることにしました。筆者が伝えたのは、予め決まっている家族の予定をどう考えるべきか、家族のルールを事前の相談もなく当日の判断で破ろうとしている事は良い事か間違っている事か、そしてお金の使い方が無計画過ぎるのではないか、の3点を伝え、彼の判断に委ねました。
意外にも彼は私からいわれたことを事前に理解していたようであり、彼は自分で友人たちとの夕食には行かないという判断をしました。
彼のこの判断があった後、次のような事を一緒に話し合いました。
まず前提となる考え方は「心の平安」です。少し難しい言葉になりますが、「安心」と考えることが出来るかもしれません。
約束を破ったり、嘘をついたりすると心がざわつきます。この心のざわつきがあると、結果的には楽しみは半減してしまいます。なぜならば、約束を守らなかったという良心との葛藤や、嘘をついていると嘘を正当化したり、嘘が見破られないような状況を整えるエネルギーが必要になるからです。このような状態ですと、お友達との時間を心から楽しむ事は出来ません。まずはこの話をしました。彼もこのことは理解出来ているようでした。
この前提を話し合ったうえで、次に話した事は家族のルールです。この出来事の前から彼とは寝る時間を少し遅らせる事を話し始めていました。そして実際に寝る時間を遅らせる為に彼が取り組むべき課題も設けていました。しかし、お友達との夕食に行くとなると、このルールを無理やり曲げる必要があるわけです。既に話し合いが進んでいるので、彼は寝る時間を遅らせる為の努力は出来るわけです。ですので、まずは自分で努力し、寝る時間を遅らせる為に取り組むべきことに取り組み、監督者である両親から承諾をもらい、その上で、友人たちとの夕食に家族が快く送り出してくれたら、「心に安心」を持った上で、夕食という大切な友人との時間をしっかりと楽しむ事ができるようになるのでは、と話し合いました。
次に話し合ったのは、お金の事です。まず話し合ったのは、友人たちとの食事会にはお金がかかるという事。そしてお金は使ってしまえば無くなってしまうので、自分が欲しいと計画的に貯めていたお金を使う計画に狂いが出てしまう事。無計画なお金の使い方をしていると、結果的には、自分の経済状態が狂ってしまい、人付き合いは出来なくなるという事。また、お金を「使う」計画に狂いが生じることは、結果的には自分が振り回され、「心の安心」が失われてしまう事。そして友人たちとの食事を楽しむ為には、やはりその為にお金を「貯める」ことに取り組み、友人たちにいつ誘われても行けるような状態を整えておく事などを話し合いました。
このような話をした数日後、あらためて彼の気持ちを聞いてみました。
それは同じ学年のバスケ部の部員が参加した夕食会に彼が参加しなかったことで彼が落ち込んだりしているかどうかの確認もありました。親心です。
しかし、彼はその夕食会に行けなかったことで、友情に変化が生じたりする事もなく、さらにはやはり自分が取り組むべきことをやった上でお友達と遊びに行く方がより楽しむ事ができるという事も理解が進んでいるようでした。
彼のこのような返答を聞いて、やはりお金の教育は有効性があると強く感じたのでした。
大人になれば人付き合いは付き物です。しかしながら、人付き合いにはお金がかかります。自分の経済力が高ければいいのですが、家庭経済はまずは家族がより豊かな人生を実現させられるように取り組む必要もあります。もし人付き合いがそれを犠牲にしてしまうのであれば、優先順位を考え、その考えに従って行動を選択する強さや自立心が必要となってきます。
しかし、大人になっても、この事に難しさを感じる事はあるのではないでしょうか?その一つの理由に、自分の経済の管理が十分に出来ていないという側面があったりしないでしょうか?
人付き合いをお金が足りないからという事で断らなければならないというのは実は辛いことです。筆者のみならず、このような経験がある方は、その痛みは分かるのと思います。
しかしお金の教育に取り組むと、この痛みは「お金が無いからしょうがない」と諦めるのではなく、自分自身の金融リテラシーを向上させ、自分の経済の管理能力を高めることで解決の糸口を掴む事が出来ることが理解できるようになります。
そしてこのようなとても難しい判断を中学2年生の時に保護者の保護とサポートがある中で、しっかりと自分で考え、判断し、そして計画的にお金の管理に取り組む事が経験できたのは、将来彼が自分の力で人生を切り開いて行く中で、きっと彼の力になってくれると感じることが出来ました。
余談ですが、彼が勇気ある判断をし、上述したような行動を取ったために、バスケ部のムードメーカーが夕食や銭湯やサウナに行こうという誘いをした際、行かない判断をする友人も出てきた事を私はのちに知る事となりました。
【まとめ】
お金の教育に取り組んでいると、「現実社会」を学ばなければならないタイミングがやってきます。お金は現実的なものだからです。
筆者自身お金の教育に取り組む際、上述したような事に長男が向き合うとは想像もしていませんでした。
また、お友達との時間はとても大切な為、やはり親心としては行かせてあげるという判断も出来た為、迷いはありました。
しかしながら、上述したように、守らなければならない事ややらなければならない事を複数破るような判断となってしまう事もあり、話し合うという判断をし、結果的には彼は自分の判断で行動を選択することが出来ました。
保護者が「行っておいで」とか「行ってはダメ」と、子どもの代わりに「判断してあげる」事は難しい事ではありません。また子どもが小さい時は親の判断に子どもを従わせるという事は珍しい事ではありません。
しかし、子どもが徐々に大きくなり少しずつ自分の判断を尊重し大人への階段を上がっていくとき、子どもの代わりに親が判断をすることは逆に子どもの成長を妨げる事にもなってしまうでしょう。
今回は最終的には上記のような結果になりましたが、お金の教育は時として保護者にも難しい判断を要求してきます。
まだまだお金の教育自体が成長期であり、うまくいくことも失敗することもあると思います。筆者の家庭の経験が何かのヒントになればと考え、投稿にまとめてみました。参考になれば幸いです。
補足情報のサイト:
メルマガ:学校ではなくて家庭内で補足している人が多いお金の教育(アメリカ)
記事:厚切りジェイソン、投資よりも“支出の見直し”の重要性力説「意識を変えた方がいい」
note:父親から教えて欲しかった〇〇の事
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