先日お小遣いをあげることについて色々と調べていました。するとお小遣いには3通りの与え方があり、それぞれ、「定額制、都度制(一時金制)、報酬制」と呼び名が定着しているようです。
GAZKID$では「外発的動機づけ」も得られることに加え、お金を「稼ぐ」という教育も並行して出来ることから「報酬制」を推奨しています。
しかしながら、筆者自身の過去を振り返り、お小遣いをどのようにもらっていたかを振り返ることで、お小遣いのもらい方によらず、そもそもお小遣いをもらう、すなわちお金をもらう事はすでにお金の教育となっていると感じるようになりました。なぜならば、お金の教育は体験型の学習の積み重ねとなっているからです。
【定額制と都度制(一時金制)】
筆者は香港で生まれ育ち、高校を卒業するまでは両親の元、香港で生活していました。小学校と中学校は香港にある日本人学校に通い、高校は同じく香港にあるアメリカンスクールに通いました。
まずお話ししたいのは、海外で学生生活をすると、アルバイトという日本では当たり前の事がビザや言語の壁で意外と難しくなります。ですので、外国人として香港に住んでいる以上、アルバイトというのは高校生であっても制約がある為、一般的な事ではなくなります。
そのような背景もあって、香港で育った私を含め友人たちも親からお小遣いをもらうという事が一般的でした。
またこれは日本人家庭に限ったことではなく、高校時代のアメリカンスクールに一緒に通った友人たちも同じようにお小遣いを親からもらっていました。
このような背景がある中、筆者が初めてお小遣いをもらったのはおそらく中学2、3年生になり、友達と一緒に外出するようになった頃だったと思います。
ただ、その時はお小遣いは定額制ではなく、その都度、交通費やおやつ代など、500円~1000円程度受け取っていたと記憶しています。記憶が正しければ交通費などは数十円の頃だったので、500円程度を受け取っていたと思います。
それが高校生になり、頻繁に友人と出かけるようになることで、お小遣いが定額制になり、最終的には5000円程度のお小遣いを毎月受け取っていたことを覚えています。
そしてそのお金で友人たちと映画に行ったりアイススケートに行ったり遠出をしたりと毎週末のように仲間たちと一緒に高校生活を楽しんでいました。
当時の傾向を思い出すと、国籍を問わず、サラリーマン家庭では定額制でお小遣いをもらっている友人が多く、裕福な家庭では都度制(一時金制)でお小遣いをもらっていたと記憶しています。
また、友人達の間でもお小遣いの多い少ないはあり、私の月5000円というのは友人と比べると同じか少し少なかったように記憶しています。
そして筆者を含めお小遣いが少ない仲間たちは往々にしてお金持ちの経済力に甘えることが多く、週末に泊りに行った際などは、本当によくお金持ちのご両親にお昼や夕食をごちそうしてもらっていました。
また友人たち同士で外食する際も、ご両親がこれで食べておいで、という感じでお小遣いを渡してくれたりもしたことを覚えています。
このような思い出話は尽きませんが、実はこの間、ずっと筆者は親からお小遣いをもらう、すなわちお金をもらうという事が慣習化し、当たり前の事と感じるようになっていたのです。
筆者の場合、月末にお金が足りなくなれば、必要分を親に求めれば、その分与えてくれる親でした。この行為は当然、日本人が1人しかいないような高校で「頑張って」高校生活を送っている子供に不自由させないという愛情や思いやりが背後にあったことと思います。しかしながら、それを受け取っている筆者自身は親からお金を受け取ることが当たり前のような感覚さえ持つようになっていった事を記憶しています。
このようなお小遣いの習慣は大学生活まで続きましたので、大学を卒業し社会人になり、初めてお給料をもらった際に、労働の対価としてお金をもらっているという実感がなかなか育たなかったことを覚えています。
今でこそお金は自分の生活を守るためのものである事を体験的に理解出来るようになりました。しかしどこかで「(電話一本で)お金は何とかなる」というような感覚がまだまだ残っているようにも感じることもあります。
もちろん個人の性格にもよりますし、精神性にもよると思います。しかしながら、私の場合は香港で生まれ育ったという環境の影響、そして、親から定額制+都度制(一時金制)でお金をもらい続けたことによって、「お金はもらえる」という事を体験的に学習してしまっていたようです。
「お金はもらえる」という感覚は決して健全な感覚ではありません。なぜならば、お金は労働の対価として手に入れるものであり、稼ぐものだからです。
学校法人、慈善団体、そして宗教団体であっても彼らは社会の役割を担ったうえで寄付や献金を受け取っています。何もしていないわけではありません。何もしないでお金をもらえるというのは社会摂理から考えるとやはり健全ではないのです。
しかしながら「定額制」や「都度制(一時金制)」でお金を与えることは少なくとも私に対しては「お金はもらえる」という体験学習が無意識の中で積み重ねられていたようです。
【報酬制】
半面、現在筆者宅で取り組んでいるお金の教育はお金を「稼ぐ」事を教えます。
この学習テーマに取り組む為にはお小遣いを「報酬制」にする必要があります。
ではこのように取り組む事によって、子供たちにどのような金銭感覚が育ったかというと、長男は「稼ぐことはコツコツ作業である」「稼ぐことには上限がある」「労働以外でも稼ぐことができる」というようなことを学ぶことができています。また5歳児の長女も「お小遣いをしっかり稼がないとおもちゃは買えない」という事も理解できるようになりました。
もし「定額制」や「都度制(一時金制)」でお小遣いを与えていたらこのような感覚は育つことはありません。
中学生の時から「稼ぐ」という事への体験学習を疑似的に積み重ねることは、金融リテラシーという側面から見ても、社会摂理を学習するという側面から見ても、効果の高い教育となっていると感じ取ることが出来ています。
【まとめ】
お小遣いを与えるという事を通じて行われるお金の教育は、座学で何かを教えるというわけではありません。お小遣いを与えることは、「お金を与える」という体験学習となり、与えている親の意図とは別に、子供は「自由に」お金の事を学んでしまうという事なのです。
何もしないでも「お金を受け取る事ができ、そしてそれを自由に使える」という体験を学生の間何年も繰り返し行う事で、子供はそれぞれの性格や精神性、考え方を頼りに、お金の事を「自由に」理解し、その慣習を「自由に」育んでしまうのです。
お金を報酬制にすることで、お小遣いを「稼ぐ」そして「使う」という教育を行う事ができます。
お金の教育を行う事によって、お金のことを社会摂理に従って「保護者」が自らの手で教えることが出来るようになるのです。
お小遣いを与える事を考えているのであれば、お小遣いを渡した時点で、子供たちは十分なガイドを持たず、「自由に」お金の事を学び始めるのです。
お小遣いを渡す方法を「定額制、都度制(一時金制)、報酬制」で悩んでいる方がいるのであれば、お金を渡す時点でお金の教育が始まってしまう事が何かのヒントになれば幸いです。
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